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高松地方裁判所 昭和34年(ワ)101号 判決

原告 谷川吉夫

被告 国

訴訟代理人 村重慶一 外一名

主文

被告国は原告に対し、金二〇六、三五〇円およびこれに対する昭和三四年四月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告、その余を被告国の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

一、訴外直島喜平が、高松市北浜町字下横町一番地の二、家屋番号同町第四番の二木造瓦葺平家建居宅建坪二〇坪七合五勺(以下本件家屋と称す)を所有していたこと、本件家屋につき、家屋台帳への登録および所有権保存登記(昭和二五年三月六日受附)がなされていたこと、右直島喜平は、国税(昭和二三年、二五年度三期分所得税金八二、九一三円)を滞納したため、本件家屋について差押を受けるところとなつたが、右直島喜平の財産調査にあたつた高松税務署大蔵事務官平尾育男が、本件家屋の所在地を高松市魚屋町二番地の一と誤認して、右差押事務を処理したため、高松税務署長は、昭和二六年一一月頃、高松法務局に対し、右誤つた所在地を表示して国税滞納処分による差押登記の嘱託をなし、その結果同法務局は、同年同月二一日、職権で「高松市魚屋町二番地の一、家屋番号同町四番の二、木造瓦葺平家建居宅建坪二〇坪七合五勺」と表示した家屋につき、直島喜平を所有者とする所有権保存登記および大蔵省を権利者とする差押登記をしたこと、ならびに右と同一の表示の家屋につき、家屋台帳の登録がなされていることはいずれも当事者間に争いがない。

二、原告は、本件家屋につき二重に、所在地を「魚屋町二番地の一」とする登記がなされるに至つたのは、高松法務局係官及び高松税務署係官の過失に基づくものであると主張し、被告はこれを争うので、先ず、この点について判断する。

前記争いのない事実と、成立に争いのない甲第六号証および乙第五、第一二号証、証人平尾育男、同三好義清、同高橋信一、同渋谷誠夫の各証言ならびに弁論の全趣旨を綜合すると、

(一)  昭和二五年二月頃、直島喜平名義で、「高松市魚屋町二番地の一木造瓦葺平屋建居宅建坪二〇坪七合五勺」とする建築申告書(現在紛失している)が、何人かによつて高松税務署に提出されたが、右税務署において未処理のうち、同年七月三一日、土地台帳法および実屋台帳法が改正され(昭和二五年法律第二二七号土地台帳法等の一部を改正する法律)、それまで税務署の所管とされていた台帳登録事務は、登記所に移管されるところとなり、同年八月一日頃、高松税務署で未処理の台帳事務はそのまま高松法務局に引き継がれたため、右建築申告書も高松税務署で未だ台帳登録がなされないまま高松法務局に引き継がれ、同法務局において処理されることになつたこと、当時高松法務局が高松税務署より引き継いだ未済の台帳関係書類は、二〇〇件位もあり、しかもこれを僅か二名の職員をもつてその処理に当らざるを得なかつたため、法務局台帳事務担当係官は到底家屋の実地調査に赴く余裕はなく、止むなく、何らの調査をしないまま、前記申告書の記載を相当と認め、これを家屋台帳に登録したこと、そのため高松法務局に前記のような表示の家屋の台帳が作成され、また、高松市役所には右と同内容の家屋課税台帳が備え付けられるに至つたこと、

(二)  高松税務署長は、前記直島喜平が国税を滞納したため、昭和二六年一一月頃国税滞納処分として、同人の不動産を差押えることにしたこと、右不動産調査に当つた同税務署大蔵事務官平尾育男は、高松市役所備付の家屋課税台帳に、直島喜平所有家屋として、所在地を「魚屋町二番地の一」とする家屋が登載されて居ることを知つたのであるが、直島喜平が右と同一表示の家屋に関する書類を所持していたこと、またかねてより、本件家屋の所在地は魚屋町であると聞知していたことなどから、右台娠に記載された家屋が、右直島喜平の居住していた本件家屋であると誤信し、差押事務の処理にあたつたため、高松税務署長は、高松法務局に対し、差押不動産を「魚屋町二番地の一、木造瓦葺平屋建居宅建坪二〇坪七合五勺」と表示して、差押登記の嘱託に及んだこと、

(三)  高松法務局登記官吏は、右差押登記の嘱託を受けた建物が末登記であつたので、職権で保存登記をすることになつたが、右嘱託書に記載された家屋の表示が、前記経緯によつて備え付けられていた家屋台帳の登録記載と一致したため、右建物が魚屋町二番地の一に所在するものと誤信し、昭和二六年一一月二一日、前記嘱託書記載と同一表示の家屋につき、直島喜平を所有者とする所有権保存登記をなした上、その登記簿に、嘱託にかかる差押登記を記入したこと、

の各事実を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

思うに、家屋台帳の登録事務は、登記事務と異なり、本来職権でなされるべきものであり、登録内容も登記所が職権調査をして決定すべきであつて、家屋所有者よりの申告も、右登録事務をなすについての資料提供の意義を有するに過ぎないこと多言を要しないところであるから、台帳事務担当官は、申告書に基づいて登録する場合においても、原則として、家屋の実地調査に臨む等の方法により、当該家屋の所在、種類構造、床面積等につき慎重な調査を行い、真実と異なつた登録をなすことのないようにする職責があるといわなければならない。また他方租税滞納処分による不動産差押は、その効力が差押当事者のみならず、他の債権者に対しても重要な影響を与えるところであるから差押手続の衝にあたる税務署係官は、差押対象物件については、十分な調査をなし、その所在する町名地番などについても、万全の注意を払い、差押登記の嘱託をなすにあたつて過誤のないように期する職責を有するものというべきである。

そこで本件の場合につき考察するに、前認定事実によれば、高松法務局台帳事務担当係官は、高松税務署より未処理のまま引継を受けた前記建築申告書につき、何等実地調査などをなすことなく、家屋台帳に右申告書記載通りの登録をなしたことは明らかであり、右高松法務局台帳事務担当係宮は、右家屋台帳登録に際し、前示調査義務を果さなかつたものといわなければならない。もつとも右調査を怠つたのは、さきに認定したように、家屋台帳法の改正に伴い、高松法務局は高松税務署より多数の未処理の書類を引継いだにも拘らず、これを処理する職員がごく少数であつて、実地調査などをする余裕がなかつたことによるものであつて、その事情は十分諒察できるところではあるけれども、かかる事情が存したからといつて、前記調査義務はこれを免れ得ないものというべきであり、「魚屋町二番地の一」と表示された家屋の台帳登録がなされたことについて、高松法務局台帳事務担当官に、前記調査義務を怠つた過失があつたものと断ぜざるを得ない。

次に高松税務署平尾大蔵事務官は、前記滞納処分の差押手続をなすに際し、高松市役所備付の家屋課税台帳の記載を信用したことさきに認定したとおりであるところ、市役所備付の課税台帳は、家屋台帳の副本に基づき作成されるものであるから、(当時の家屋台帳法第二二条、土地台帳法第三九条、地方税法第三八二条参照)、本件の場合若し法務局において実地調査をなし、前記建築申告書の記載が誤つていることを発見して居れば、市役所備付の課税台帳に「魚屋町二番地の一」と表示された家屋の記載もなされなかつた筈であり、従つて右平尾事務官が前記のような誤信を生ずることを避け得られたわけである。しかし平尾事務官としては、高松市役所備付の課税台帳に前記のような記載が存したとはいえ、本件家屋の所在地について、町名地番等を今少し慎重に調査をなしていれば、「魚屋町二番地の一」なる表示が誤であることを発見することができた筈であり、ひいては、前記誤つた差押登記の嘱託をなすに至らなかつたものというべきである。この点平尾事務官は、滞納処分としての不動産差押をなすに際し、十分に職務上の注意義務を尽さなかつたものといわなければならない。もつとも本件家屋が北浜町と魚屋町の町界附近に位置するところ、右北浜町と魚屋町との町界が一見不明瞭で、劃然としていないことは、本件弁論の全趣旨に徴し窺えるところであるが、それだからといつて、右平尾事務官に差押対象物件の調査に関し過失がなかつたとなすことはできない。

而して高松税務署長より前記差押登記の嘱託を受けた高松法務局登記官吏は、既に「魚屋町二番地の一」と表示された家屋の台帳登録がなされていたから、嘱託書記載の家屋につき、職権による所有権保存登記をなしたことは、前認定の通りである(登記官吏の右措置自体については、過失は認められない)。

以上の認定に照せば、「魚屋町二番地の一」と表示された家屋の登記がなされるに至つたのは、結局高松法務局台帳事務担当係官の過失と、高松税務著平尾大蔵事務官の過失とが競合した結果生じたものといわざるを得ず、而も前者の過失は家屋台帳登録事務に関するものであり、後者の過失は国税滞納処分事務に関するものであるから、いずれも国の公権力行使にあたる公務員がその職務を行うにつき過失があつたものといわなければならない。

三、そこで進んで、原告の損害の主張について審按する。

原告が金融業を営なむ者であり、前記直島喜平に対し、かねてより金二八万円の貸金債権を有していたこと、原告が昭和三二年七月二五日、当時右直島喜平の滞納していた税金六三五〇円(昭和二九年度所得税第一期分の延滞加算税金三〇〇円、同年度所得税第三期分四、二〇〇円およびこれの利子税金一、六五〇円と延滞加算税金二〇〇円)を同人に代つて高松税務署に納付し、「魚屋町二番地の一」と表示された家屋につき、前記差押の解除を得た上、同年八月一日当裁判所に強制競売の申立をしたこと、原告が昭和三三年一月七日、右直島喜平に対し、更に金二〇万円を貸与し、同日、「魚屋町二番地の一」と表示された家屋の登記簿に、原告主張のような抵当権設定登記がなされたこと、原告が、本件損害として主張する金四八六、三五〇円(請求原因(六)参照)について、未だ直島喜平から弁済を受けていないこと、は当事者間に争いがない。

而して右事実に、法務局作成部分の成立に争がなく、その余の部分は原告本人の供述により真正に成立したものと認められる甲第八号証、成立に争いのない甲第二号証の二、同第五号証、乙第四号証および原告本人尋問の結果を綜合すれば、

(一)  原告は、昭和三一年一一月六日前記直島喜平(同人は会社組織で運送業を営んでいた)および訴外直島弘を連帯債務者として、金二八万円を弁済期昭和三二年三月三一日の約で貸与し、昭和三二年三月一一日右貸金につき公正証書(甲第五号証参照)を作成していたが、その弁済がないため、直島喜平の不動産について強制競売の申立をなすため、昭和三二年七月頃高松市役所および高松法務局に赴き、右直島喜平所有の不動産調査をなしたところ、高松市役所備付の家屋課税台帳に、同人所有家屋として、「魚屋町二番地の一」と表示された家屋の記載があり、また高松法務局には右と同一表示の家屋についての登記簿が備え付けられてあり、且つ右登記簿には高松税務署長の国税滞納処分による差押登記が記入されていたこと、原告はさらに、右直島喜平の居住する近辺で問い合わせたところ、同人の居住家屋の所在地は魚屋町であることを聞いたので、右登記が、直島喜平の居住する本件家屋のそれであると誤信したこと、そのため、本件家屋について強制競売の申立をするには、右高松税務署長がなした差押の解除を得ることが必要である旨司法書士より教示を受けたので、原告は同年七月二五日高松税務署に対し直島喜平の前記滞納税金六、三五〇円の代納をなし、右差押の解除を得た上、前記強制競売の申立に及んだこと(当裁判所は、「魚屋町二番地の一」と表示された家屋につき、同年八月一日強制競売開始決定をなした)、

(二)  然るところ直島喜平より示談の申入があり、原告は、右直島喜平と協議した結果、原告が更に金二〇万円を貸与すれば、右金員と前記金二八万円の貸金および右強制競売手続に要した費用中の金二万円を合算した金五〇万円の担保として、本件家屋に抵当権を設定する旨の合意が成立したので、原告は昭和三三年一月七日、直島喜平に対し金二〇万円を追貸し、「魚屋町二番地の一」と表示された家屋につき、債権額を金五〇万円(弁済期同年四月六日)とする抵当権設定登記手続をなしたこと(同日、右「魚屋町二番地の一」と表示された家屋につき、停止条件附代物弁済契約を原因とする停止条件附所有権移転の仮登記もなした)、

(三)  原告は、その後昭和三三年九月頃に至り、本件家屋が既に他に売却されているとの風評を聞き、驚いて調査したところ、同年同月一一日、訴外小河光雄が本件家屋を直島喜平より買受け、翌一二日、その旨の所有権移転登記がなされていることが判明し、前記抵当権設定登記は、架空の家屋の登記簿になされたものであつて、本件家屋にはその効力が及ばないことを知つたこと、しかしその頃には、直島喜平は無資産状態に陥ち入つていたため、原告の前記金五〇万円の債権は、これを回収することができなくなつたこと、

の各事実を認めることができ、証人直島喜平の証言および乙第五、六号証の各供述記載中右認定に牴触する部分は、いずれも措信し難く、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。なお被告は、原告は「魚屋町二番地の一」と表示された家屋がいわゆる二重登記であることを知つていた旨主張するけれども、右認定に照し、原告が右二重登記の事実を知つていたものとは到底認められない。

原告は、「魚屋町二番地の一」と表示された家屋の登記を信用したことにより、合計金四八六、三五〇円の損害を蒙つたと主張するにつき、以下分説するに、

(イ)  先ず、原告は、当初直島喜平に貸与していた金二八万円については、若し、前記「魚屋町二番地の一」と表示された家屋の登記がなかつたならば、本件家屋若しくは直島喜平所有に係る自動車等他の財産に対して強制執行手続をなすことにより、これを回収し得たのに、右登記が存したためその機会を失つた、と主張する。

しかしながら、成立に争いのない乙第四、第七および第九号証および証人直島喜平の証言を総合すれば、昭和三二年八月頃、本件家屋には、(イ)根抵当権者株式会社伊予合同銀行、債権元本極度額金三〇万円、(ロ)根低当権者株式会社愛媛相互銀行、債権元本極度額金二〇万円、(ハ)根抵当権者右(ロ)と同じ、債権元本極度額金一〇万円、(ニ)抵当権者太田友次郎、債権額金一八〇万円とする各根抵当権および抵当権が設定されていたこと(当時直島喜平は、前記各銀行に対し右各極度額を上廻る債務を負担していた)、仮に、原告が、「魚屋町二番地の一」と表示された家屋について強制競売の申立をなした昭和三二年八月一日頃、本件家屋について強制競売手続をとつていたとしても、本件家屋の当時の価格(乙第七号証によれば、金二六九、七五〇円、乙第九号証によるも金三三〇、〇〇〇円)をもつてすれば、その競売代金はすべて右先順位根抵当権者あるいは抵当権者に対する弁状に充当され、原告に対する弁済に充当されるべき残額は生じなかつた事実を推知することができ、また、右直島喜平が、当時、本件家屋以外に、原告の右債権を満足させるに足る自動車等他の財産を所有していたことを認めるに足る証拠はない。

そうであるなら、原告が右金二八万円の貸金債権を回収することができなかつたことと、前記「魚屋町二番地の一」と表示された家屋の登記が存したこととの間に、因果関係があつたということはできない。

(ロ)  次に、原告が高松税務署に直島喜平の滞納税金六、三五〇円を代納付したのは、前記「魚屋町二番地の一」と表示された家屋の所有権保存登記および差押登記が存したためであることは前認定に照し明らかであり、右代納付が直島喜平の依頼に基づくものでないとしても、国税滞納処分として差押のあつた不動産に対しては、民事訴訟法による強制競売をなすことができないから(かかる場合競売の申立に対し競売開始決定をなし得るとしても、爾後の競売手続はこれを停止せざるを得ない。なお当時は、滞納処分と強制執行等との手続の調整に関する法律の施行前である。)、前記滞納額に比し多額の債権を有していた原告が自身競売手続を進行するため、かかる代納付をしたことは、十分首肯できるところである。従つて右代納付した金六三五〇円は、原告が右各登記を信用したことによつて生じた損害であるということができる。

(ハ)  次に、前認定事実によれば、原告が直島喜平に対し、金二〇万円を追貸したのは、原告が前記「魚屋町二番地の一」と表示された家屋の登記を本件家屋の登記と誤信し、右家屋の登記簿上抵当権設定等の登記が存しなかつたため、本件家屋によつて、十分貸金を回収できるものと判断した結果貸付けたことが認められ、若し、原告において、右登記が、本件家屋については何ら効力を及ぼさないいわゆる二重登記であることを知つていたなら、右貸し付けはなさなかつたであろうことは、容易に推認できるところである。而して、現行法上、登記に、いわゆる公信力を認めていない結果、その面より登記を信頼した者が保護されないこととなるのは、被告所論のとおりであるけれども、同一家屋について二重登記のなされることは稀であつて、一般には、二重登記でないものと信じて取引をなすのが通常であるから、右金二〇万円は、原告が前記「魚屋町二番地の一」と表示された家屋の登記を信頼したため蒙つた損害であるということができる。

四、なお、被告は、原告にも金融業者として債務者の財産調査を怠つた過失があると主張する。

なるほど原告においても、直島喜平に対し金融をなすに際し同人所有の不動産をよく調査し、本件家屋についても、その町名地番などにつき今少し慎重に調査をなせば、「魚屋町二番地の一」と表示された家屋の登記が誤であることを発見し得たであろう。殊に成立に争のない乙第五号証および証人直島喜平の証言によれば、原告が前記のように直島喜平に対し金二〇万円を追貸する際、同人が原告に対し、本件家屋には既に他の債権者のため担保権が設定されていて、余剰価値はない旨告げたこと(ただし原告は喜平の右言を信用しなかつた)を窺うことができ、かかる事実があつたとすれば、原告としては、右「魚屋町二番地の一」と表示された家屋の登記簿に全然担保権設定の形跡がないことに疑念をさしはさむべきであつたであろう。しかしながら本件のような二重登記が生ずるのは、極めて稀な事例に属することであり、而も該家屋登記簿には、大蔵省を権利者とする国税滞納処分による差押登記までなされていたことを考慮に容れると、原告が直島喜平の前記言辞を信用しないで右登記を信用したのも、蓋し無理からぬところであつて、あながちこれを責めることはできず、原告が右登記を信用したことにつき幾分過失があつたとしても、右登記が国の公務員の過失によつて生じたと認められる本件のような事案において、右原告の過失を斟酌するのは相当でないと思料する。

五、これを要するに、叙上説示に照し、前記三の(ロ)の金六、三五〇円および三の(ハ)の金二〇万円、以上合計金二〇六 三五〇円は、原告が「魚屋町二番地の一」と表示された家屋の登記を信用したことによつて生じた損害であること明らかであり、右のような登記がなされるに至つたのは、さきに説示したように高松法務局台帳事務取扱係官と高松税務署平尾事務官の各過失が競合した結果生じたものであるから、右被告国の公務員の過失九六〇(三四)と原告の蒙つた前記損害との間には、相当因果関係が存するものと断じなければならない。然らば、被告国は原告に対し、国家賠償法第一条第一項により、原告の蒙つた損害の賠償として、前記金二〇六、三五〇円およびこれに対する本件訴状が被告国に送達された日の翌日であること記録上明白な昭和三四年四月二八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものというべきである。

よつて、原告の本訴請求のうち、右範囲の請求部分を正当として認容し、その余の部分は、理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 浮田茂男 出寄正清 原政俊)

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